第一には、ウィーナーの「機械」概念が本来の「金属でできた機械」にとどまるものではなく、たとえば「役所や大研究所や軍隊や会社という血と肉でできた機械」をも包含するほど大きなものであるということ・・・。
第二には、先の引用文にも示されているように「人間」と「機械」とを分け隔てる境界を取り払い、その区分を認める必要のない視座に立っていること。
第三には、ウィーナーのこの書物の原題が「人間存在の人間的利用」となっていること・・・。
「人間的な」という形容詞はウィーナー自身の倫理的立場を示すものです。
その「ヒューマンな」あたたかい眼差しは、同時に「人間存在の利用」を主題視する冷徹な眼差しでもあることを忘れるべきではありません。
人間存在が何かを「利用」するというよりも人間存在が「利用」される存在に成り下がってしまっている点にウィーナーも気づいています。
しかし、それを何とか食い止めて「ファシストや権力欲の野心家」による「非人間的利用」や「人間に対する冒漬」から人間を救出せねばと心を痛めているのです。
しかし、ウィーナーの良心には限りなき敬意を表しつつも、しかし現代社会における人間状況については、エネルギー体への変質という点を正面から見据えてかからねばならぬ局面にあるということを力説せざるをえません。
「人間の機械化」はひとり「権力欲に取りつかれたやから」が野望実現の手段として無理やり行なっていることではなく、万人に当てはまる事態なのです。
もう一個所ウィーナーを引用しておきましょう。
「われわれ人間は孤立系ではない。
人間はエネルギーを発生する食物を外界から取り入れ、したがってそれらのエネルギー源を含むより大きな世界の一部をなしている」。
・・・ウィーナーの念頭にないことをひとつ注意しておくと、生を享けて人生を歩み出すようになってからはじめてエネルギーの流れ連関に組み込まれるのではありません。
男女の生殖を通じて生を享けること自体が新たな生命が、「血と肉」が形成されること自体がすでにエネルギーの流れ関係のひとつの発現形態にほかなりません。
それはともかく、ヒトもまた他の動物種と同様に外界から食物や太陽熱などの形でエネルギーを受け取って別の形で放出します。