ロンドンに着いたブラマーは24歳でした。
大工としての腕が良かったのですぐ職にありつき、週給20シリングという特別よい稼ぎを得、金持ちや有名人の家で優れた腕前を発揮しました。
この時代には裕福な人たちの家でもまだ「ジェリコ("遠い所"の意)」とふざけて呼ばれる離れ便所を使っていました。
庶民の家には便所がなく、下の通行人に大声で「ガーディ・ルー」フランス語のギャルデ・ロー(おしっこに注意)がなまったものと叫びながら便器の中身を下に捨てたものでした。
・・・そこでブラマーは実用に耐える水洗便所をはじめて設計し、これを完成しました。
稼いだ金の半分を5年間貯めたところ、特許料がきわめて高かったのでその金額は120ポンドに達しました。
発明が金になるという強い信念をこのとき彼は持ったに違いありません。
特許を取得したときブラムマー(Brammer)は名前の綴りをBramahと改めました。
・・・これはイタリア語の長母音をまねて`ah'とするロンドン社交界の流行にならったものです。
ジョー・ブラムマーはヨークシャーのバーンスリー近郊のステンバラの村で1749年4月13日に生まれました。
彼が生まれたみすぼらしい小屋はいまでも人が住んでいます。
彼は村の中でもとりわけ貧乏な小作農の息子で、16歳のとき彼の生涯をひっくり返すような事件が無かったら、親たちのようにずっと畑を耕す運命にありました。
年に1度の村祭りがあってジョーは他の若者たちと一緒にジャンプの競技に出場しましたが、踏み切りを過ってくるぶしの骨を折ってしまいました。
回復期に入って趣味の木彫にふけっていた彼は、このとき鍬を捨てて趣味の経験を生かそうと決心します。
7年間指物師の徒弟として働きましたが貧乏から抜け出せそうも無かったので、富と名声を求めてびっこを引きひき170マイル(約270km)も歩いてロンドンに出ました。
のちにロバート・スチーブンソンが橋を作るとき・・・
また、有名なブルネルが建造した汽船「グレート・イースタン」号の進水のときに欠くことのできなかった水圧プレスを発明した偉大な技術者の経歴はこうして始まったのでした。
イングランドの北部では、いまでもなにか特別うまくできているものを見ると「そいつはまさにブラマーものだ」という言葉を聞くことがあります。
・・・この言葉を使っていてもその由来を知る人はほとんど無いでしょう。
実はこれはイギリスの最も偉大な技術者の一人ジョー・ブラムマー(Joe Brammer)・・・
つまり、ヨークシャーの牧童から身を起こし、後にロンドンの社交界の流儀に従ってジョセブ・ブラマー(Joseph Bramah)と名を改めた有名な人物のことをいっています。
ブラマーは水圧プレスを作って流体動力利用の先駆者となり、そのほか泥棒も絶対に開けられない錠前を発明したり、実用的な水洗便所をはじめて作ったりした人です。
ロンドンにある英国機械学会の会長室には、18世紀最高の技術者ジェームズ・ワットとジョージ・スチーブンソンの肖像画が部屋の両側の壁に掲げてあります。
残念なことにブラマーの肖像はそこには見当りませんし、ブラマー・プレスとブラマー錠はよく知られているのに、彼のことを知っている人は非常に少ないのです。